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【人生は廻る輪のように】死を見つめた精神科医の軌跡

 医療・福祉の仕事に従事している人ならば、一度はエリザベス・キューブラーロスの名前を聞いたことがあると思います。現在のホスピスケアの創始者と言える人物です。

 

 

 

 

 

 

キューブラーロスの一生 

 

 本日紹介するのはアメリカの精神科医、エリザベス・キューブラーロスが書いた自叙伝、「人生は廻る輪のように」です。

 

人生は廻る輪のように (角川文庫)

人生は廻る輪のように (角川文庫)

  • 作者: エリザベスキューブラー・ロス,Elisabeth K¨ubler‐Ross,上野圭一
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2003/06/25
  • メディア: 文庫
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 キューブラーロスと言えば、最も有名なのは人間が死を宣告されてからの過程を研究した「死ぬ瞬間」だと思います。こちらは学術書の趣が強く、読むのに少し体力がいるかもしれません。しかし、自伝である上記の本はキューブラーロスが歩んできた道のりをストーリーとして描かれているので非常に読みやすいです。

 

 ただ、読みやすいと言っても内容は軽いものではなく、いかに彼女が数多くの苦難を乗り越えて、その経験が偉大な、ワーカホリックな精神科医へと至ったのかが描かれています。その多難な人生を経験してきた彼女の語る言葉からは、誰もが他人事ではない「生死」について多くのことを学べるのではないかと思いました。

 

 幼少期に、自分が可愛がっていた黒うさぎのブラッキーを父親の命令で食肉にして食べたことが、成人してからも大きな影響を与えていたことなど、発達についても興味深い記述がなされています。

 

 

 

 

逆境だけが人を強くする。 
人はいつもわたしに死とはなにかとたずねる。死は神々しいものだと、わたしは答える。死ほど安楽なものはないのだ。
生は過酷だ。生は苦闘だ。
生は学校に通うようなものだ。幾多のレッスンを課せられる。学べば、学ぶほど、課題はむずかしくなる。

 

 

 

 

 

 

困苦なくして歓喜はない。それをわたしは学んできた。苦悩なくしてよろこびはないのだ。戦争の悲惨がなければ平和のありがたさがわかるだろうか? エイズがなければ人類社会が危機におちいっていることに気づくだろうか? 死がなければ生に感謝するだろうか? 憎しみがなければ、究極の目標が愛であることに気づくだろうか?

 

 

 

 

 

その日はブラッキーのことであたまがいっぱいだった。もう殺されているだろうか、わたしが愛していたことを、一生忘れないことを、知っていてくれただろうか。そればかりを考えていた。さよならをいわなかったことが悔やまれた。その日、自分がしたこと、自分に問いかけたことのすべてが、それ以降のわたしの仕事に影を落としている。わたしは自分の行為を憎み、父を責めた。

 

 

 

 

 

 

人生は大いなる気まぐれに支配されている。だから、その意味するところにたいしてこころをひらいておく必要がある。

 

 

 

 

 

冷たく光る茶色の瞳でまっすぐに学生たちをみつめて大きく息を吸ったリンダは、いつも担当医や専門医たちからしてもらいたいと思っている架空の質問に答えはじめた。十六歳で、あと数週間しか生きられないって、どういうことなの? ハイスクールのダンスパーティに夢を託すこともできないって、どういう状態のことなの? デートもできない状態って? おとなになること、仕事を選ぶことも考えられない状態って? 夫になる人のことも考えられない状態って? そんな状態の毎日を過ごすとき、なにが助けになるの? なぜみんなほんとうのことをいわないの? (中略)リンダは学生たちに、人生の終末にはなにが意味をもち、なにが貴重なのか、わたしたちの時間とエネルギーを無駄にしているものがなんなのかを、身をもって教えてくれた。わたしもあらためてそれを学んだ。事実、リンダの短い人生が残してくれた教訓は、リンダがなくなったずっとあとまで共鳴のように鳴り響いていた。
 死にゆく患者のことばに耳をかたむけさえすれば、生について無限に多くを学ぶことができるのだ。

 

 

 

 

 

生きている以上、だれもが苦しい目にあう。偉大な人もいれば、無価値にみえる人もいる。だが、いかなる人も、わたしたちがそこからなにかを学ぶべき教訓である。

 

 

 

 

 

最高度の水準で人生を生きるためには、どうしても排除しておかなければならないものがある。それは内なる否定性、やり残した務め……内なる黒兎である。
わたしのなかにもう一羽の黒兎がいるとすれば、それはあの抗しがたい欲求ーー「九〇〇グラムのちび」として、自分にも生きる価値があるということをたえず自分に証明せずにいられないという欲求だった。四九歳になって、わたしはまだ全速力で走ることがやめられなかった。

 

 

 

 

 

おぞましい経験をへることは、真の信頼にかんする教訓、また真贋の識別にかんする究極の教訓を学ぶための、唯一の方法なのだ。

 

 

 

 末期患者の語る言葉などを読んでいると、日々をいかに生きるかということをあらためて考えざるを得ない気持ちになります。自分自身を振り返り、じっくり考えながら読みたいと思った一冊でした。

 

 

 

 

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