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【諦めの価値】の要約。自由になるために諦める。

 先日読んだ森博嗣さんの諦めの価値のブックレビューです。勉強の価値やお金の減らし方、集中力はいらないなど、独特な視点からさまざまな著作を書き続けている著者の新刊ということで楽しみに読ませて頂きました。

 

 

 

自由の定義について

 本書では第一章の冒頭で「自由」の定義についてという項が設けられており、そこで著者が考える自由について説明がされています。それは何かというと、

 

 

自分が思い描く夢に向かって、少しずつ近づいていく行為、つまり、自分がやりたいことを実現する過程や状況を、僕は「自由」と定義している。

 

 

なので、人生の目的である夢がまず存在していて、そこに向かってアプローチしていくことが自由であると書かれています。 この目的に向かって歩み続けている行為が継続していれば自由であり、夢を追い続けることで幸せな人生を送れるが、本書のテーマである「諦める」という動詞は、このような夢に向かう行動を断念することであるとの事。

 

 

諦めることは大きく分けて2つある

 そして、諦める対象とは大きく分けると2つに分けられ、それは目的と方法に分かれます。

 

 一つめの目的を諦めるとは、夢そのものを諦めるということ。健康や時間がないなどさまざまな理由でその目的自体を諦めてしまうことが一つめの諦めです。

 

 二つめの方法を諦めるということですが、夢自体を諦めるのではなく、現在のやり方ではその夢が実現しないので、ひとまずその方法を諦めるということ。これは日常茶飯事で、夢を達成するためにはさまざまな方法を試す必要があるので、目標達成が難しいほど何度もこれが発生する可能性があるようになると説明されています。



 そして、諦めることは悪いことではなく、大事なものを守るための手段であることを忘れないことが肝要であり、その上で抽象的に考えて本質を見極めることが大事であり、これはどういうことかというと、人間はそもそも目的を見失いやすい性質を持っていて、具体的なものこそ価値があるというふうに思い込みやすいというふうに説明がされていました。

 

 

 例え話で挙げられているのが、バックがどうしても欲しいという例。誰かがバックが欲しいと思ったとして、このバッグが欲しいという欲求は本質ではなく、バッグを手に入れて他人から賞賛されたい羨ましがられたいという欲求を満たしたいということが本質であることがよくあります。この場合欲しいものはやはりバックではなくて自分の満足という抽象的な目的です。 

 

 

 こう考えると自分にとっての本質が見えてくるので、諦めるということも違った意味を持ってくると思えます。そもそも自分の欲求を満たすためにバッグを諦めるが、他に自分に満足できるものはないかと考えたり、褒められることが本当に大事なのかという風に考えることもできて、今思っていることは諦めますが別のことでまた何かを目指すということも考えられるようになります。 

 

 

 諦めは当然悪いことではなく、非常に重要な判断であり諦めることを常に念頭に置いた方が物事を進める上で重要だとという事がよくわかりました。



読者からの相談

  別の章では読者からの質問について回答する項目が設けられておりここがとてもユニークで面白いなという風に感じました。 編集の方が事前に諦めについてのテーマを基に質問を集め、注射に対して回答を求めるというスタンスになっています。 どのような質問が来ているかと言うと、諦め癖がついている、諦められない夢がある東店自分の人生はこのままでいいのか東店やりたい仕事を諦めるべきか、などなど、私たちにとってもよく悩みの種となるような質問が多数寄せられています。

 

 

 回答については本書に譲るとして、独特で癖のある著者の回答を非常に面白く読むことができました。 この質問を見ていて感じたのが、やはり私たちは他人の視点がとても気になるということが人生の悩みを引き起こしているということがよくわかります。

 

 

 例えば夢を諦められないという悩みに関して、人からどう思われるのかが気になってしまったり、周囲の人間に迷惑をかけてしまうのではないかということを念頭においてしまったりなど、やはり人間関係からくる悩みというのが私たちにとっては大問題になるようです。ここでの著者の回答の多くは、別にそれでいいのではないかということがほとんどで、著者自身はほとんど人の目を気にしないということを別の本でもこちらの本でも同様のことを述べていました。なかなかそうなるのは難しいですが、そうありたいものだと思わされました。

 

 

諦めるは期待の反対語

  なぜ私たちが諦めるということをしたり、諦めるということがテーマになったりするのか。 何を諦めるべきか、という章では人を諦めると、問題や努力を諦める、社会や環境を諦める、など様々な諦めについて述べた後で、諦めるというのは期待の裏返しであるということを説明されています。

 

  そして諦めるものの対象として多いのが人間であると説明されており、特に自分、もしくは身近な他者に諦めるという事が多いようであるとのこと。 自分の場合に関しては自分の能力を諦めたり、性格、見た目、環境など諦めると口にすることが多いようです。ただ実際話を聞いてみると周囲からどう見られるかはとても気にしているので、本質的には認められない自分を諦めるということをしていることが多いそうです。

 

 

 また身近な他者に関しては、これも自分に対することとあまり変わらず、他者が自分にする評価が不満がある。 なので、それを諦めるということに繋がってるようだとしています。 ここまでの章まで見てくると、やはり前述もしましたが私達はとても他人の評価が気になり、そこに対して気にしないことはほとんど不可能であるということ。 自分の評価にも不満があり、他者からどう見られる彼女の評価にも不満があり、どうにもならないから諦めることを考える。 自責と他責の話ではありませんが、やはり他人にばかり責任を求めていたり原因をそこにばかり考えてしまっているとうまくいかないようですね。

 

 

まとめ

 森博嗣さんの「諦めの価値」の要約として一部の章について書かせて頂きました。この本に限らずですが、人間関係に限らずさまざまな悩みを抱えている方は森博嗣さんの新書やエッセイなどを一度読んでみることを強くおすすめいたします。物事を抽象化してとことん考えるというスタンスを取られており、自分が思っている悩みはなんでも無いことなんだなと思わされる良いきっかけになるはずです。

 

 

 また小説も非常に面白く、定番ですが「すべてがFになる」は推理小説をあまり読まない私でも一気読んでしまいました。

 

 

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