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【ズルさのすすめ】元外交官から学ぶ世渡りのコツ

 正直者は馬鹿を見るではありませんが、あまりにも簡単に人を信用しすぎて痛い目を見る、という経験を何度かしたことがあります。そもそも僕自身にさまざまな教養やリテラシーが不足していたことが原因だったのですが、勉強すること、本を読むことの重要性を思い知らされたように思います。

 

 

 

 

 

 

ズルさのすすめ

 

 先日読んだ佐藤優さんの「ずるさのススメ」の書評です。

 

 

「ズルさ」のすすめ (青春新書インテリジェンス)

「ズルさ」のすすめ (青春新書インテリジェンス)

 

 

 もともと大好きな作家ですが、青春新書から出ているシリーズのものは特に読みやすく、著者のさまざまな体験を通して培ってきた生き方を学ぶのに適していると感じます。先日はお金についての著作をブログにしましたが、本書では「処世術」について書かれており、彼がいかに外交官として世渡りをしてきたかを学ぶことができました。

 

 冒頭にも書きましたが、以前サラリーマンをしていた時には癖の強い人物が非常に多く苦労させられました。もっと早くこのような本に出会っていれば、うまく立ち振る舞うこともできたのではと感じます。人間関係で悩んでいる方、危機管理が求められる管理職の方は学ぶことが多いのではと思いました。

 

 

 

みなさんも経験があるのではないでしょうか。たとえばアルバイトなどで食品の袋詰めなどをみんなで一斉にやるとき、一人作業が速い人がいると、みんなそれに負けじと手早く作業しようとする。そして、いつの間にかみんな競争に参加している。資本家側はこういう人間の心理、集団心理を巧みに利用しながら生産性を上げようとするわけです。
 最近は毎日出社しなくてもいいという勤務形態も増えてきたようですが、競争心をあおるという点では弱い。オフィスに社員が集まるというのは、その点でも意味があります。

 

 

 

 

 

毛沢東の言葉に「小さな火花も荒野を焼き尽くす」というものがあります。小さな火花が大火災につながる。火が小さいうちなら消し止められても、ある程度広がってしまったらどうすることもできません。

 

 

 

 

 

問題を問題として意識するには、それなりの意識と訓練が必要です。パワハラやセクハラのように、本人は問題と意識していないのに、実は時代や社会は問題だと捉えていることがある。それに対応するには、常に意識の中で自分の感覚と社会の常識がズレていないか確認する必要があります。

 

 

 

 

少なくとも僕たち自身は、問題や危機に対して少しでも正面から向き合えるよう、日ごろから備えておくべきです。それには、起こりうる問題を一度ノートに書き出してみることをおすすめします。たとえば健康の問題です。家族の誰かが倒れて入院したらどうなるのか。保険や手当はどうなっているのか。両親が倒れたり最悪亡くなったときどうするのか。あるいは会社が倒産したり、解雇されたらどうなるか。

 

 

 

 

 

問題に向き合う際に大切なのは、問題自体を大きく三つに仕分けること。それは、「1. 解決可能か 2. 解決不可能か 3. 解決できなくても緩和することは可能か」という3つ。それによって対処の仕方が決まってきます。

 

 

 

 

 

たとえば「ウサギのツノの先は丸いか? それとも尖ってるか?」という問題があったとします。みなさんはどう答えますか? もちろんウサギにはツノなど生えていません。問題自体がナンセンスなのですが、これに真剣に取り組むとおかしなことになってしまいます。
 本来問題になりえないところに問題をつくり出す。つまり問題の設定自身が誤っているものを「擬似問題」と言いますが、僕たちの身の回りはこのような擬似問題、あるいはそれに類するもので溢れています。(中略)実は今の世の中全体が、このような「擬似問題」をつくることで成り立っている部分があるのです。資本主義、商業主義の世の中では、問題のないところにあえて問題を設定することで購買意欲をかき立てようとします。やたらと人を不安がらせて、それにつけ込んで商品を売り込む広告や宣伝のやり方です。

 

 

 

 

 

ゲーデルの不完全性定理という化学の理論によれば、一つの系の中には必ず自己矛盾の要素がある。そしてその系の中にいる限り、その矛盾はわからないといいます。つまり、自分の立ち位置を現在の位置からズラして考えることができれば、自分をとり巻く世界や環境の矛盾が客観的に見えてくるわけです。
 時間に追われ、情報の波にさらされている僕たちは、むしろ日常から一時的に離れてみた方がいい。そうすることではじめて、当たり前だと思っていた日常のおかしさや矛盾点に気がつくことができるのです。

 

 

 

 

失言には大きく分けて二種類あります。一つは無知からくる失言。物事を知らないばかりに誤解を招いたり、相手を怒らせたりしてしまう。先ほどの「ご苦労様」の例などが典型的です。こういう場合は、情報や知識を増やすことで自然に失言はなくなります。(中略)交渉でも接待でも、相手の喜ぶことを知ることも大事ですが、それと同じかあるいはそれ以上に、相手がイヤがる言動、不愉快になる話題は何かということも事前に知っておくべきです。

 

 

 

 

 

教養とは何か。古今東西の書物に通じることでしょうか? 絵画や音楽といった芸術に造詣があることでしょうか?
 もちろんそういうことも必要でしょう。しかしもっと本質的なことを言うなら、僕は「偏りのないこと」と「やわらかい思考」だと考えます。さまざまな国家、人種、職業の人たちの考え方を受け入れる偏りのなさ。そして、それらを理解するやわらかさ。それがあるからこそ、この世界の多様な存在とリアリティをありのままに認められる。
 教養がある人かどうかを見抜くのは難しいことではありません。偏見と差別意識が少ないことをポイントに判断すればまず間違いない。

 

 

 

 

 

僕の経験からすると、官僚でも政治家でも、能力のない人、仕事のパッとしない人ほど高価なブランド品を身につけていました。見た目と仕事にギャップがあるのです。虚勢を張って自分を大きく見せようとするわけで、そういう人はやはり信用されなかったし、だからますます仕事ができなくなる。

 

 

 

 

 

「信じるなよ。男でも、女でも、思想でも、本当にわかるまで。わかりがおそいってことは恥じゃない。後悔しないためのたった一つの方法だ」
「威勢のいいことを云う奴がいたら、そいつが何をするか、よく見るんだ。お前の上に立つ奴がいたら、そいつがどんな飯の食い方をするか、他の人にはどんなもの云い方をするか、ことばや、することに、表裏がありゃしないか、よく見分けるんだ…」

 

 

 このシリーズは、各テーマに合わせて最後に著者がおすすめの本を紹介しているのですが、古典やビジネス書、エッセイから漫画まで幅広いジャンルで網羅されていてとても参考になります。自分があまり得意でない分野や、改めて学びたい領域の本を探すのにも適していると思います。

 

 

 

 

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