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【私の財産告白】蓄財、そして世渡りの極意とは

 

 

 

 

 先日別の記事で紹介した本多静六先生の中でも、おそらくもっとも多くの人に読まれている「私の財産告白」の書評です。

 

私の財産告白 (実業之日本社文庫)

私の財産告白 (実業之日本社文庫)

 

 

 インベスターZという漫画がドラマ化され、その関連からか大型書店でも文庫コーナーに平積みされていました。以前も読んだことがあったのですが、あらためて読むと著者の含蓄ある言葉に感銘を受けました。

 

 一般的には投資関連の本として紹介されていることが多いように思いますが、これは本多静六先生流の幸福論、人生論と言ったほうが的確ではないかと感じます。もちろん、資産運用や貯蓄の心得といったことも網羅されていますが、それも大儲けの秘訣というよりは、金銭に翻弄されずに幸福に生きる秘訣といった趣が強いように思います。

 

 

 

ゼイタク生活の欲望や財産蓄積の希望についてもそうであって、月一万円の生活をする人が二万円の生活にこぎつけても幸福は二倍にならぬし、十万円の財産に達しても、ただそれだけではなんらの幸福倍化にはならない。いったい、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せらるものである。

 

 

 

 

もとより吝嗇と節倹とは全く別物である。吝嗇は当然出すべきもとを出さず、義理人情を欠いてまでも欲張ることで、節倹とは似て非なるもはなはだしい。節倹は出すべきものをちゃんと出し、義理人情も立派に尽くすが、ただ自分に対してだけは、足るを知り、分に安んじ、一切の無駄を排して自己を抑制する生活を指すのである。

 

 

 

 

貧すれば鈍するという。これも事実である。人は貧乏してくると、ただ自分自身が苦しいのみならず、義理をかき、人情をかき、したがってまた恥をかく。俗にいう「三カク」となってくる。

 

 

 

 

金を馬鹿にする者は、金に馬鹿にされる。これが、世の中のいつわらぬ実情である。財産を無視するものは、財産権を認める社会に無視される。これが、世の中のいつわらぬ現実である。

 

 

 

 

 

投資の第一条件は安全確実である。しかしながら、絶対安全をのみ期していては、いかなる投資にも、手も足も出ない。だから、絶対安全から比較的安全、というところまで歩み寄らねばならぬ。そうして、その歩み寄りの距離だけを、細心の注意と、機敏な実行で埋め合わさなければならぬ。

 

 

 

 

 

投資と経営は違うのだから、投資家が一業にしばりつけられ、一局部にのみ目をうばわれることは。大損のやり方である。できるだけ一業に深入りせず、常に多方面に目を配って、ムリにわたらぬ限り多方面に投資しなければならぬ。

 

 

 

 

 

 

一度も失敗したことがないというものは、またあまりにもしばしば失敗を繰り返しているものと同様、警戒の要が多分にある。失敗の教訓を生かすか生かさないかは、実にその人の大いなる試金石であって、一度や二度の失敗で、すっかり闘志を失ってしまって、何事にも、すぐこれは大変だ、厄介なことだ、苦しい、面倒だ、できそうもないなどと弱音を吐くようになってはもうお仕舞いである。

 

 

 

 

金儲けを甘くみてはいけない。真の金儲けはただ、徐々に、堅実に、急がず、休まず、自己の本職本業を守って努力を積み重ねてきくほか、別にこれぞという名作名案はないのであって、手っ取り早く成功せんとするものは、また手っ取り早く失敗してしまう。

 

 

 

 

 硬い文体ではありますが、ところどころでユーモアにあふれた逸話などが紹介されていて飽きさせません。社会人になる前に一度読んでおきたかった名著です。

 

 

 

 

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