モノよさらば

ミニマリストに憧れて

【答えのない世界を生きる】正解はないから、考える

 本当のことを知りたい、というのは誰でも持つ欲求の一つだと思います。しかし、普遍的な答えがある、というのは幻想なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 「社会心理学講義」が有名な小坂井敏晶先生の「答えのない世界を生きる」の書評です。

 

 

答えのない世界を生きる

答えのない世界を生きる

 

 

 「社会心理学講義」を読んだことがなかったのですが、書店でおすすめされていたことと、タイトルが面白そうだったので手に取りました。本書は著者が今の職業に就くまでの遍歴やフランスの大学事情などと、「答えのない世界」で考え続けること、違う価値観に触れることの大切さを論述されています。

 

 心理学の専門的な領域についての話はほとんどなく、専門知識がなくても理解できるようになっており非常に理解しやすい内容となっていました。独特の文体と段落構成が特徴的なので、初めは取っ付きにくいと感じる方もいるかもしれませんが、丁寧に論を進めるための仕掛けということがわかると逆に読み進めやすいと感じると思います。

 

 保護主義、極右化、金融商品取引法違反や徴用工問題など、それぞれの思惑で対立が生まれる問題が最近は特に多くなっているように感じます。世の中が複雑化したり、情報があふれている時こそ一つの価値観に捉われず考えていくことが、生きる力になる。そんなことを改めて思わされた著作でした。

 

 

 

 

常識の疑問視から思索の第一歩が始まる。だが、これが極めて難しい。フランスで私が学んだもっとも大切なことは知識でも知恵でもない。人間の世界に答えはない。だから、常識を疑う異邦人の意義がある。

 

 

 

 

 

我々は色眼鏡をかけて生活している。レンズが起こす濾過・屈折・歪みを通して外界を把握する。知識を習得し、思考訓練を積み、喜怒哀楽を生きながら、眼を覆うレンズの色は変化する。だが、色が淡くなったり、無色透明になったりはしない。哲学者であろうと科学者であろうと、世界観という色眼鏡は外せない。

 

 

 

 

 

矛盾に陥った時にごまかしてはいけないと私が言うのは倫理的観点からではない。矛盾のおかげで、新しい視点に気づくからだ。矛盾はまさしく、従来の理論に問題があると示唆している。せっかくのチャンスをふいにしては、もったいない。

 

 

 

 

留学に期待する最大の恩恵は、進んだ情報を本場で得る輸入業にはない。異文化からもたらされる知識は、加算的に作用して既存の世界観を豊かにするのではない。新しい知識を加えるのではなく、今ある価値体系を崩す。これこそが留学の目的だ。

 

 

 

 

 

普遍的だと信じられる価値は、どの時代にも生まれる。しかし確実な答えだと我々の眼に映っても、時代とともに変遷する以上、普遍的価値ではありえない。何をしても良いということではない。各社会・時代の中で悪と映る行為に我々は怒り、悲しみ、罰する。認識論としての相対主義と裁きの必要は何ら矛盾しない。人間は社会的かつ歴史的なバイアスの中でしか生きられない。社会が伝える言語・道徳・宗教・常識・イデオロギーなどをすべて除いたら、人間の精神は消滅する。生きるとは、考えるとは、そういうことだ。

 

 

 

 

 

殺人や強姦が悪であるのは普遍的真理だと誰もが信じる。だが、社会の開放性と普遍的価値は論理的に両立しない。開かれた社会とは、社会内に生まれる逸脱者の正否を当該社会の論理では決められないという意味である。キリストやガンジーは正しく、ヒトラーやスターリンは間違いだという認識は後世が出した審判にすぎない。当時はキリストもガンジーも社会秩序に反抗する逸脱者だった。対してヒトラーやスターリンは当初、国民の多くに支持された。時間を超越する価値は存在しない。

 

 

 

 

 

古典を繰り返し学ぶのは、先人の思想が正しいからではない。常識から目を覚まさせるために古典をつむぎ、そこで新たに自分自身と正対するのだ。

 

 

 

 

 

ソ連、中国の文化大革命、カンボジアのポルポト率いるクメール・ルージュ、そして大政翼賛会や特別高等警察も、正しい世界を作ろうとした事実を忘れてはならない。正しい世界の構想を誤ったのではない。普遍的真理や正しい生き方がどこかに存在するという信念自体が危険なのだ。
繰り返す。なぜ異端者が必要なのか。それは、答えが原理的に存在しないからである。

 

 

 

 日々生活をしている中でさまざまな判断を、自分の価値観に基づいてしていますが、どうしても「これが正しい」「あれは間違っている」と二元論で判断してしまいがちです。答えが存在しない世界で、絶対的な答えがあると信じること。一つの価値観だけを信奉するのがいかに危険であるかを自覚し、開かれた価値観を持つべきだとあらためて思わされました。

 

 

 

 

 

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