ミニマリスト ひかるの本棚

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【ケアへのまなざし】生きがいを考える。

 先日日経新聞に掲載されていた池上彰さんの読みました。日頃は現代史、政治、経済などを専門に解説などをされていますが、今回は少し趣が違いました。

 

 

 

 

 

 

生きがいを考える。

 

www.nikkei.com

 

 普段はあまり手に取らないであろう本をあえて選んでいると前置きした上で、紹介されていたのは神谷美恵子さんの「生きがいについて」でした。

 

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

 

 

 僕自身何度も読み返していて、迷った時や悩んだ時にいつも背中を押してくれている本です。神谷美恵子さんは昭和に活躍された精神科医で、ハンセン病患者の治療や文筆業・翻訳業などでも有名な方です。

 

 「生きがいについて」はNHKの100分 de 名著シリーズでも取り上げられており、先日まで本屋でも神谷先生の本が平積みされていたのをよく見かけました。

 

www.nhk.or.jp

 

 新聞記事を読んで、自分の読書メモで神谷先生の本を読み返すと、懐かしさとあらためて自分の「生きがい」とはなんだろうかと考えるきっかけとなりました。池上さんは記事の中で、多くの人が人間を経済的な観点からしか見ていない風潮があると言っておられますが、たしかにそう感じます。

 

 日頃から介護が必要な人に接していると、また人の生死を頻繁に目にしていると、自分の生き方はこれでいいのかと自問させられます。今日はもっとも有名な「生きがいについて」ではなく、「ケアへのまなざし」という別の著作をあらためて読み返したので気になった箇所を引用いたします。

 

 

 

ケアへのまなざし (始まりの本)

ケアへのまなざし (始まりの本)

 

 

 

 

人間は何かのしごとに打ち込んで、自分のすべてをそれに捧げることによって、自分の生命をそれと交換するのだという。そこにその人間よりも永続的な価値のあるものが生まれ、その人間はやがて年老いて死ぬが、死ぬとき、「その両手は星で一杯なのだ」

 

 

 

 

 

社会的な非常事態のときは、自殺が少ないのはなぜであろうか。いろいろな説明がありうるであろう。考え付くことの一つは、こういうとき、人間はただ生きぬくために、あらん限りの力をふりしぼらなければならないから、自分で自分の生きる意味などを問うている余裕がないためではなかろうか。(中略)

動物に自殺という現象がみられないらしいのは、動物がただ本能的に生きているからであろう。自殺とは考える能力を持ち、悩む能力を持つ人間に特有な現象であるといえよう。つまり人間は、動物のように、ただ食べてねて生きている、というのは耐えられない。

 

 

 

 

慢性病の患者はたいてい、自分は穀潰しにすぎないとか、人の世話にばかりなって生きているのは意味がないとかいって、生きる意欲をうしなう。しかし経済的・身体的自立が人間の存在意義のすべてなのかどうか、これは、なるべく視野を広くして、よく考えてみなくてはならない重大問題である。 

 

 

 

 

 

生きがいのある生活を送るためには、たえず人間関係に気をくばり、たえず何か行動をしていなくてはならないのかというと私は必ずしもそう思いません。あまり人間関係にばかりべったり密着していると、私たちは他人の顔色をたえずうかがい一喜一憂して暮らさなくてはならないでしょう。

 

 

 

 

 

存在は行動に先行する。

 

 

 

 

 

 

他人の死に出会っても、それを自分のこととして深く感じることもなく、たとえ少し考えるとしても、それは単なる抽象的な死観にとどまることが多い。自己の死に直面しているひとの孤独は何よりもこのことに由来すると思われる。

 

 

 

 医療、福祉の従事者向けの本というわけではなく、読めば死生観について多くの発見が得られる本だと思います。

 

 

 

 

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