18,000日の残り時間
今日で生まれてから10,544日目。(2015年11月11日現在)
男性の平均寿命の約80歳まで生きるとしたら、人生は全部で29,200日。
すでに1/3が過ぎ去り、時間の流れの早さを改めて実感します。
↑ベビーひかる。まるでハムですね…笑
止まったままの時間
↑こちらのサイトで計算してもらいました。
実家に戻ってきて一ヶ月。
親族とこんなに近い距離で暮らすのは6〜7年振りです。
時間は流れていても、心の中の時間は止まっている部分があるのではないか。
最近起きた二つの出来事からそう感じました。
①:母とのやり取り
母「ちょっと友達とランチしてくるわ」
僕「行ってらっしゃい」
母「お昼ご飯、お魚焼いてお味噌汁も作ってあるから」
僕「ありがとう」
母「じゃあ行ってきます」
僕「行ってらっしゃい」
母「………あ、ご飯レンジでチンするやり方、わかる?」
②:祖母との電話でのやり取り
僕「今から久々にそっち行くよ」
祖母「来てくれるなんて嬉しいねえ」
僕「何年振りだろうね」
祖母「ねえ、楽しみだわ〜」
僕「たぶん12時前には着くよ」
祖母「お父さんの車で来るの?」
僕「いやいや、電車で行くよ。平日だし」
祖母「………大丈夫? 電車の乗り方、わかる?」
※実家から祖母の家は電車で20分ぐらい
来月僕は29歳の誕生日を迎えます。
しかし考えてみると僕の頭の中で思い描く両親や祖母の姿も、小学生の時に一緒に遊んでくれていた頃の姿なので、お互いに昔の印象が強く焼き付いたままなのかもしれません。
ちなみに僕はレンジでチンもできますし、電車も一人で乗れます。
両親より歳を重ねてしまった
アルバムの中で笑顔で僕を抱き上げてる両親。
気付いたら写真の中の両親よりも歳を重ねてしまいました。
はるか未来の事だと思っていたら、いつの間にか追い越してしまっていたなんてとても不思議な感覚。
こうやって自分も気付いたらおっさんになっているんだと思うと、人生って本当にあっという間なんだろうなとつくづく思います。
テクノロジーの進化で寿命が100歳以上になるとかそういう話も聞きますが、今の平均寿命であれば僕の場合残り時間は約18,000日。
まだまだ知らない事がたくさんあるのも、これからもブログで色んな人と繋がっていく事も、もうすぐ始まる新しい仕事もどれもとても楽しみです。
しんどい事もたくさんあると思いますが、ささいな事にでも喜びを感じられるような生き方をしていきたいです。
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ひとつの後悔
振り返ると失敗ばかりしていたなあと思いますが、それが糧になって今の自分があると考えると失敗も悪くないと思えます。
死ぬほど後悔した出来事は今思いつく限りでは一つしかありません。
以前にも少しだけ書いたのですが、祖父が亡くなる前の数年間ほとんど会えなかったことです。
koizumihikaru1234.hatenablog.com
祖父ほど僕を可愛がってくれた人はいないし、僕も同じぐらい祖父のことが好きだったので何も言えずのお別れはかなりこたえました。
それがきっかけで転職、帰省を決意したのですが、仕事を辞めると上司に伝えて全力で止めてくれた時に言われた言葉が今でも耳から離れません。
「後悔したっていうけど、あと何回会ってたら後悔しなかったんだよ」
言われる前にもこれは考えていましたし、今でも時々考えます。
亡くなる前に、あと何度会っていたら後悔なく別れられたのか。
どれだけ感謝の言葉を伝えられていたら後悔しなかったのか。
きっと何度会っていたって、どれだけ言葉を重ねていたって「せめてあと一回だけ」って後悔して悲しむ。そう思います。
でも何も伝えていない状態での別れと、日頃から感謝を伝えていたり言葉を交わしていた場合では、見送る時の心境はきっとこんなに深い後悔の念ではなかった。
もう終わってしまった事なので確かめようがありませんが、そうとしか思えないのです。
18,000日の使い方
先日会ってきた祖母はとっても元気な様子でしたが、もう90歳近いので僕が記憶している姿とは違い、かなり弱ってきているようでした。
両親もまだまだ元気ですが、写真で笑っている姿の方が僕のイメージする両親像に近く、時間は確実に流れていて、今の状態は当たり前ではない事を嫌でも実感させられます。
ありがたいと言う言葉に気を付けてみたまえ。感謝すべきこと、御礼をいうだけの値打ちがあるという意味で使われているが、そうある事が難しいという意味がある。
健康に過ごせていること、大切な人に囲まれていること。
とてもありがたい(有難い)ことですが、いつか必ず終わりが来る。
約18,000日のうちのどれぐらいの時間を家族と過ごせるのかわかりませんが、あれもこれもしておけば良かったと後悔ばかりにならない時間の使い方をして過ごしていきたいです。
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